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Posted by おてもやん at

2015年03月27日

なんでも発見組の卒園記念

久しぶりのブログです。

 2014年度ありんこ園の卒園生は、クラス名を「なんでも発見組」と命名し、一年間いろんな取り組みをしてきました。
俵山の白糸の滝からスタートした活動はいのちの取り組みとなり、環境問題にまで展開しました。
阿蘇の風力発電、鹿児島県の水力発電、薩摩川内の火力発電や原子力発電の見学を経て、便利な毎日の生活に甘んじるのではなく資源は大切にしなければならないこと、そして自然の偉大さを感じたところです。

 今年の卒園記念はなんでも発見組の子ども達と、その保護者の方たちによって駐車場の看板が新たにされ、ピザ用釜のカバーを製作し贈呈して頂きました。今後バザー等でもお目にかかるかと思いますが、みんなで大切に使っていきたいと思っています。




  


Posted by NPO法人とら太の会 at 13:27Comments(0)

2014年09月30日

とら太の家の増築工事が完了しました!

とら太の家の増築工事が完了しました。

会員さんはもとより、たくさんの方々にご支援ご協力を頂いて、増築工事も完了しました。本当にありがとうございました。
広くなった事務所をどう使えばいいのか、戸惑った事務所の住人と同じように、みのりのみんなも、狭いところに集まって仕事をしていましたが、一月経って、ようやく慣れてきたところです。
是非、一度見に来てください。大歓迎します。









  


Posted by NPO法人とら太の会 at 16:26Comments(0)

2014年07月11日

とら太の家の増築工事が始まりました!

たくさんの方々に物品販売やご寄付を頂きました。
心から感謝申し上げます
ありがとうございます。

みのりには、車椅子の方々も
私のように体のでかい人もおられます。
仕事の材料でもある段ボールの中で、離合することも、
事務室を通り抜けることもできないくらい、狭くなり・・・、
増築することになりました。
 
これまで、何回か増築してきましたが、
今回は、1,000万円もの借金をしなければなりません。
「宝くじが当たったら、寄付しますから!」
そんな励ましや、たくさんの方々のご寄付や、物販販売のご協力に
心から感謝しながらスタートしました。

アスファルトを切断、基礎工事、一つひとつの工程を食い入るように
見つめるみのりの岩城さん、

いろんな車の登場に、心躍らせるありんこ園や学童の子どもたち。
「大工さんに、お茶は出しているか?」とアドバイスをくださる池田さん。
完成予定は、8月末ですが、大工さんたちも、みんなも元気に完成の時を
待ちたいと思います。








  


Posted by NPO法人とら太の会 at 11:55Comments(0)

2014年07月09日

「めだか」と「金魚(丹頂)」

本町4丁目の吉村さんから頂いた、赤や黒、白の“めだか”。
早速、水槽やポンプ、石、餌・水草を購入。
水槽の中に人が住んでいるかのようにみんなで覗き込み・・・
小さないのちに魅せられ・・・
「金魚さんは、帽子をかぶってるの?」
「いつか食べるの?」
「大きくなったら、どうするの?」
めだかはみんなの思いを、想像の世界へと誘いました。

“めだか”は、宮地小学校や八代小学校に転出。
その後、何匹か、天国に贈りましたが、
なんと、今、“めだか”の赤ちゃんが誕生しています。
小さな小さな“いのち”に、みんなでエールを送っています。



  


Posted by NPO法人とら太の会 at 17:00Comments(0)

2014年01月15日

アンソニー・ロブレスさん

何気なくテレビに目をやると、
そこに映し出されていたのは、小さな男の子とレスリングをしている片足の男性でした。
アンソニー・ロブレスさんです。


 この世に生を受けた人間は脚が1本であれ、2本であれ、
 困難に立ち向かわねばならない。

 どう生まれたかではなく、
 どれだけ価値のある者になれるか。

 逞しくあれ、可能性をたかめよ。

 そのために痛みが伴おうとも、
 私は不満をこぼす事はないだろう。

 私の魂は屈することはない。

 どんな敵に立ち向かおうとも恐れることはない。

 私は自分の可能性を知っているから。


彼のメッセージに、釘付けになりました。

アンソニーさんは、生れつき片足がなく誕生しました。

母子家庭でしたが、障がいを理由に甘やかされることなく、何事にも諦めないという子どもで、厳しく育てられたようです。
その彼は、2006年には、全米高校選手権(健常者の大会)で優勝。全米学生選手権で優勝しました。

 「今夜受賞した人のほとんどが何かを成し遂げたからではなく、
 周りの人が犠牲を払ったり激励してくれたお陰でこの場にいる事ができるのです
 私の場合それは、母のジュディでした
 私が片脚で生まれた時、母は逃げ出すこともできました
 しかしそうしなかった。そして母は教えてくれました
 「諦めてはいけない」と
 私を強くするために、痛みから守ってくれませんでした
 大学2年の時、母は病気になり私たちは家を失いました
 私はレスリングをやめようとしました
 でも母は許しませんでした
 お陰で全米チャンピオンになれました。」

と書いてありました。

気持ちは若いつもりでも、私も随分年をとりました。
自分の人生をどう生きていくのか、どう締めくくるのか、
世の中本当にすごい人たちがおられることを知るにつけ、
自分自身に問うているところです。
  


Posted by NPO法人とら太の会 at 12:58Comments(0)

2014年01月14日

春の訪れ



日本列島を寒気が覆っています。

でも、春の足音は、確実にやってきています。

松島の素敵な公園の横には、100万本の菜の花が、

春の訪れを約束してくれているかのように、

じっと冬が通り過ぎるのを待っているようでした。
  


Posted by NPO法人とら太の会 at 17:51Comments(0)

2013年11月11日

全国花火大会in八代

 11月8日(金)みのりの社員(利用者さん)とスタッフは、八代の福祉事業所の方々と、全国花火大会の観光バスを利用して見物に来られた15,000人の方々のシート敷きをし、当日(9日)は、早朝からたくさんのボランティアの方々と半分に折っておいたシートを広げ、4カ所のごみの分別村を作りました。

 「年間何カ所も花火大会に行くけれど、八代が一番奇麗です。」
 「4・5年前に来たときは、こんなに奇麗じゃなかったのに。」
 「何回も来てるから、ここの分別の方法は分かってるから分別してきたよ。」

全国から来られているお客様の声は、みんながこれまで頑張って来た証しでした。

お昼過ぎから、
「八代のまちは、ごみのない町をめざしています。持ち帰れない方は、ごみをシートの上に置きっぱなしにしないで、分別村まで持って来てください。」
と、お一人おひとりに声を掛け、花火が終わるまで持って来られたごみの分別を行いました。年々シートの上のごみの放置はなくなり奇麗になってきました。
声を出し、「ごみは分別村へ」の看板を持って会場を回り・・・、そんな小さな積み重ねが会場の人の心を動かし、八代の評価につながっているのです。

本来はごみの持ち帰りは当たり前のことです。しかし、観光客の場合はそうはいきません。観光客ブースだけではなく、河川敷全体をみんなで取り組み、ごみのないまちだと誇れる八代になるといいなと思っています。

もうすぐ妙見祭も開催されます。そこでも分別村を行いますが、次世代の子どもたちのためにも、マナーやモラルをしっかり守れる大人がたくさんおられることを祈っています。とら太の会でも餅や豚汁の販売をしたり、トイレを開放します。どうぞ、お立ち寄りください。

  


Posted by NPO法人とら太の会 at 18:06Comments(0)

2013年11月05日

あたたかさに感謝

10月31日、いつも本町の古紙回収にご協力を頂いている吉村さんご夫妻が来会されました。
なんと、餃子50個余りと水餃子300個余りを「みんなに食べさせて!!」と持って来てくださったのです。
吉村さんは、以前『王虎』という中華屋さんをしておられました。
その頃からみのりの古紙回収に協力したいと、町内の古紙等を集めて下さっていました。
ある時、みのりの社員が、運びやすいように片付けておられるとき、
中華鍋を持つ大切な左手の腱を切られ入院されました。
退院されて、お店も開けられましたが、しばらくして閉店となりました。
みのりのみんなで食事に行ったときも、一人ひとりの代金を取ってくださり、
そのお金の全てを「みのりのみんなに使って下さい。」と渡されました。
閉店されても古紙回収を続けてくださっていますが、
包み込むような温かいお人柄に、お会いする度にとても癒されています。
『謙虚さと思いやりを忘れないで、今あたなにできることを
真摯にやればいいんだよ。応援してるよ』
職人気質のご主人と、包み込むやさしさの奥様に、自分の親のような気持さえ持たせて頂いています。
出会いって本当に不思議な縁をつくり、感謝のうちにたくさんのことを学ばされています。
  


Posted by NPO法人とら太の会 at 09:21Comments(0)

2013年10月31日

3月11日の東日本大震災に心寄せて

 2013年9月19日、2011年の東北大震災から2年経ってようやく福島に足を踏み入れることが出来ました。
 主人の父は宮城県出身で、2010年秋、初めて兄や姉たち夫婦とともに義父の実家を訪ねたばかりでした。兄や姉たち夫婦みんなで旅行するのも初めてでしたが、父のすごした歴史や思いに触れながら、たくさんの思い出ができました。
 その矢先の大震災は、しばらくいとこたちと連絡も取れませんでしたし、ことばにならない思いを胸に、いつかもう一度出かけることを願っていました。
 いわき市についた1泊目の夜、震度5強の地震がありました。自然を前に、太刀打ちできない怖さと偉大さを感じました。
 翌日、車を走らせると、除染作業中の看板が目に入りました。


 普通に道端に除染されたものが並んでいます。


 電柱は、震災があった時のままで、


 立派な家も、震災の時のまま時を止めていました。


 車も耕運機も、津波で流された時のままでした。







 路地に積まれた山程の汚染をみながら、地震や津波だけなら故郷を追われる人も少なかっただろうにと心が痛みました。

 福島にいる間に流れていたニュースは、海の中に汚染水を止めるカーテンのようなものが入れられたことでした。処理に10年は有にかかるという原発。原発に代わるエネルギーをみんなで早急に模索しなければならないことを思わされました。

 私たちが自然という大地で生きていくために、
 四季のある日本の良さを、日本に住む私たちが大切にしなければ。
  


Posted by NPO法人とら太の会 at 15:51Comments(0)